室町の初期から戦国時代に抜刀術の達人と称された、林崎甚助重信から数えて七代目の長谷川主税介英信は始祖以来の名人で、元来太刀で行われていた居合を打刀にて行えるように新たに工夫をして興した居合が英信流である。
江戸で道場を開いた英信の弟子である荒井清哲に参勤交代で、江戸勤務となった土佐藩士・林六太夫守政が学び、第九代を継承される。
林六太夫は、料理人頭であったが、弓、馬、槍、書画、礼節、謡曲その他十六種類の免許を持った才人であった。
その後、土佐藩内へ伝承された英信流は、藩主より庇護され、藩校で居合が教授されると同時に、他国への流出を防ぐために
「御留流(おとめりゅう)」と呼ばれ藩外の者へ教える事を禁じられた。
藩校で秘匿して教授されることになったものの、藩士においては必須の武芸として振興し、幾多の名人達人を生んで隆盛を極めた。
十七代目を継承した、大江正路は幕末から明治の時期にあって、無双直伝英信流に統一し、あわせて業の形の整理を図った。
大江正路は、江戸、明治、大正、と居合を継承し、昭和二年に七十五歳で没した。
この時には編纂という形で、多くの技が省略、名前の変更、統合された。現在の英信流は、大江正路が編纂した技の形の統一後のものであり初伝、中伝、奥伝、番外、組み太刀、から構成されている。
江戸時代においては、全国にいくつかの分派があったと考えられるが各地の伝承は絶えており、土佐以外で比較的近代まで伝承されていたのは信州で伝承されていたが、昭和頃には伝承者が絶え、失伝している。


大江正路先生、山本晴介先生の顕彰碑

居合形の技一覧
